「セッション」感想
PCが壊れたので更新が滞ってました
ついに(といってもだいぶ前)netflixもデバイスダウンロードに対応し始めましたね。
対応している数はまだこれから増えると思われますが、「いつでもどこでも映画やドラマを」という流れが加速しているように感じます。
というわけで、「セッション」です。
監督はダミアン・チャゼル。
2014年にアカデミー賞を取っています。
鬼教師を演じたJKシモンズも助演男優賞です。
大雑把な話としては、音大生のアンドリュー・ニーマンと教師のテレンス・フィッチャー(J.K.シモンズ)のドラマです。
教え子を一流に育て上げたいフィッチャーと、音楽で生きて行きたいニーマンの、苛烈なレッスンとその先に行き着いた境地を描いています。
感想を一言でいうと、緊張感を作り出すのが異様に上手いです。
見ていてとても疲れます。
〇とにかく緊張感がすごい
ホラーだったりサスペンスと違って、登場人物が危ない目に遭うわけでもないのになぜこんなに緊張するんだろうと考えると、ニーマンやその他音大生がいる状況がどこか映画的なものではなく、日常的なものだからかと感じます。
人は未知の状況におかれると緊張するものと思いますが、それだけでなく、その緊張感の正体をよく知っているからこそ、見ていて緊張してしまいます。
自分の今後がその一瞬に全てかかっていたり、大勢の前で罵倒される屈辱や悔しさ、またはそれを見ている時に自分にその目線が向けられないように必死で目をそらす気持ちというのは普遍的にあることでしょう。
〇主題は?
作中には、ジャズに疎い自分でも知っている有名なジャズナンバーを始めとする曲が流れますが、映画の主題はジャズの良さを伝えることではありません。
テンポが正確で速ければいいのか?そこまでリズムや早弾きに関して厳しいものなのか?ジャズってもっと柔軟で余裕のあるものじゃないの?と見ていて誰しもが疑問に感じると思います。
もちろん、トップのジャズアーティストはこうした技量を持ち合わせ、そのために膨大な練習を重ねてきたことでしょう。しかし、ジャズの良さを伝えるならそこにフォーカスする必要はありません。
「大成する」とは?
作中でフィッチャーはニーマンに熱く語ります。偉大なミュージシャンになるには「good job(よくやった)」 が禁句なんだと。激烈な指導や過度な競争はその才能を殺さないためだと。
作中ではこのことを肯定していません。フィッチャーが過去に激しく育て上げた学生は鬱になり自殺してしまいました。優れたアーティストを輩出することはできず結局誰も成功していません。
大成するのにこうした指導が必要であると言いたいのではなく、周りを全て置き去りにし、通常の過程を何段も飛ばした狂気の果てにたどり着く境地もある。ただしそれは人間性を捨てている。と言いたいのだと思いました。
調べてみると本作自体が監督自身の高校の経験に基づいているようです。昨今、ブラック企業、ブラックバイトやら、様々な社会のシーンでのブラックさが取り沙汰されていますが、例えば芸能界だったりスポーツ界だったり音楽界という「ある意味閉鎖された特殊な場」であれば、そうした無茶もまかり通ってしまいます。一般的な常識からするとおかしいとしか思えなくても、大勢の失敗者の上に偉大な成功者が出てくれば。。という世界です。けれども、その一般人も結局その一人の成功者に熱狂してしまうので、そうした世界を成り立たせているのは一般の人々とも言えますが。
〇ラストについて
観ながら、ラストは笑われて、悔しさから再起してすごいことになる、という話かと予期していたら違いました。
普段の練習とは違い、自身の演奏中には驚く程穏やかな表情を浮かべていたフィッチャーですが、本当は優しい人が、心を鬼にしてわざと追い込んでいるのではなく、ほんとにそうすることが正しいと信じて疑わない。自身の復讐のために他の人の貴重な機会を犠牲にするという、人間性の崩壊ぶりをみせつけます。
最後のセッションはフィッチャーも予期していなかったもの。展開としてはなかなか衝撃的で、ほぼセリフなしでセッションが続くラストは映画としては異様ですが、目が離せない迫力があります。
〇雑記
これを見て音楽をやろう!と思う人はあまりいないと思いますが、画面全体にはジャズの優雅な部分に支えられたスタイリッシュさやクールさと、裏側にある戦いの部分、必死に成り上がろうとする泥臭さや闘争心のようなものが見えて、見ごたえがあります。
フィッチャー氏の罵詈雑言にいろいろな意味で耐え切ることができるなら一見の価値ありだと思います。